
おはようございます。
私は、今日までがゴールデンウィークです。
朝起きて、エビネに活力剤を与えていました。
エビネの置き場所を新たに作りましたが、この時期は朝日がエビネに当たっているようで、ちょうど良かったです。
あと1ヶ月もすれば寒冷紗を張らなくてはならないのですが、それまでは出来るだけ午前中の日差しに当てて、丈夫に育てたいと思います。
さて、実家に帰省した時に、わが子と初めて山登りに行きました。
以前、田代山に行こうと考えていましたが、いきなり標高2000mでは疲れて山が嫌いになってしまうのではないかと思い、やっぱり手軽に登れる山がいいなと・・。
じゃあやっぱり、私を子供の頃から見守ってくれている故郷の山・桧山に決めて、実行してきました。
私の故郷の山は、福島県の最南端に位置していて、標高510mです。
父の話では、大昔は自分の土地だけを歩いて桧山までいけたそうで、ご先祖様は大地主だったみたいです。
その証拠に、この地域のお墓があるのですが、実家のお墓は一番良い所にあるんですよね。
明治か大正時代、大学にも行っていたご先祖様もいると言う事ですが、その影響なのかどうかは分かりませんがその後土地を失い、現在の実家は落ちぶれています。
砂利道の細い林道を通るので、実家の軽自動車を借りて行ってきました。
砂利道だった所は舗装されていましたが、それでも道は狭いし雑草が生い茂っていますので、軽自動車がお勧めです。
林道終点に駐車場があったような記憶がありましたが、しばらく来てないので記憶が定かではなく、途中で心配になり車が3台くらい止められるスペースがあったので、車を停めて歩き始めました。

今回は風景の写真だけで、後ほど花の写真をアップします。
ここには、珍しい花が咲いていましたよ。

わが子と、こんな感じの林道を歩いてきました。
体力がかなり落ちていて、低山を選んで正解でしたね。

私は、山下地区から伸びる林道を進んできましたが、私の記憶通り、矢祭山駅から歩いて来れる合流地点に、ちょっとした駐車スペースがありました。
ここまでで、舗装の道は終了です。
向かって左側が、桧山の登山道です。

昔は、こんな道標なんて無かったのに、登山ブームの影響でしょうね。
整備されていて、子供と登るには良かったです。

昔は、この先が山頂のような感じでした。
私にとって、ここが最後の登りだったんですよね。

小さな祠があります。
向かって右側が、展望が良いんですよね。

町役場のある、東舘方面の風景。
右側の山を越えると、いわき市に行けます。


本当の山頂への、最後の登り道。
昔は木々に覆われていて、展望がなかったと記憶しています。
なので、先ほどの祠のある展望の良い所が、子供の頃の私にとっての山頂でした。

桧山・山頂。
こんな山には誰も来てないだろうと思っていたら、約20人の方とすれ違いました。
皆さんと挨拶をして、半分以上の方とは立ち話をして、色々楽しみましたよ。
山登りの良い所は、知らない人同士が、気軽に話せる事でしょうか。

山頂は整備されていて、沢山ベンチがあるからゆっくりできます。
風景や花の写真を撮ったり、登山客と色々話しながらゆっくり登って、約1時間くらいで着きました。

山頂からの風景。
東舘から石井方面。
私の実家が、ちょっとだけ写っています。

左側奥の山が、茨城県の最高峰・八溝山です。
山頂近くまで林道が続いているので、私は小学生の頃、何度も自転車で登りに行きました。
私の脚力が、小・中学校一番だったのは、こういう行動力があっての結果です。
川で小石を対岸に投げて遊んでいたり、全て遊びの中で培われた才能とでも言うのかな。
江川卓さんも、川で遠投をしていたから怪物と言われていましたよね。
小学校の記録表に、今でも私の遠投の記録が残っているそうです。

ここからの写真は、レンズを替えています。
多分、里美方面。

大子町方面。
奥のギザギザの山は、多分奥久慈・男体山だと思います。

高萩市方面。

久慈川沿いの、矢祭町全容。

山の中腹にある展望台。

登山道脇に、珍しい花が・・。
次回紹介します。

何十年ぶりに見つけました。
この畳まれた葉っぱの中に、昆虫の卵があるんですよね~。
昆虫の名前は、忘れちゃいました。
懐かしい。
息子に教える事が出来て良かった。
ゆっくり歩いて、往復2時間半の山旅でした。
天気も良くて風も心地よく、最高のハイキングでした。
次回は、桧山で咲いていた花の紹介です。
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